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Edited by M. Kano




2002年6月19日
我々の最終目的地 カーネギーホールへ

レコーディングやコンサートに、特別に調整されたピアノを持ち込む、弊社コンサート&アーティスト部のこのシステムは、北海道から九州まで主要なホールはすべて、すでに1000回を越えるステージの実績を残してきました。その集大成として、2002年6月19日、当社のスタィンウェイ・フルコンサートピアノはニューヨーク・カーネギーホールのステージに登場し、世界初のメインホールを借り切ってのレコーディングを行いました。この模様は読売アメリカのトップページにカラーで大きく紹介され、全米に配信されて大きな話題を呼びました。テレビ局の取材も入ったのですが、マスコミに対して世界一厳しいカーネギーホールのステージ上に、TVカメラが入ったのはほとんど前例がなく、きわめて異例なことであり、大変貴重な映像が収録されています。この模様は、2002年夏、テレビ東京系列の番組で、その一部が紹介されました。



カーネギーホール・スターン・オーディトリアム


甦れ!巨匠たちの音よ
〜120年の時を超えて〜


タカギクラヴィア株式会社
代表取締役  高木 裕


1887年製のニューヨーク・スタインウェイ「D-54958」。
かつてカーネギーやメトロポリタンホール創立当時、貸出用のコンサートピアノとして活躍していた楽器である。非常に美しいそのローズウッドのボディは、当時黒い塗装のピアノが主流ではなかったことを物語っている。
その後日本に渡り、ある時期キャピトル東急ホテルに所蔵されていた。そして1986年、ホロヴィッツが2度目に来日した際、このホテルに滞在し、実際にこのピアノを弾いて絶賛したという記録と写真が残っている。この件は、私の長年の友人であり、その時ホロヴィッツと共に来日していた、フランツ・モア氏(ホロヴィッツやルービンシュタインなど歴代の巨匠たちの専属調律師を務めた最高の技術者)が、何度も私に聞かせてくれた話であり、彼が出版した本「ピアノの巨匠たちとともに」において、「ホロヴィッツはピアノに向かってすわり、楽器に手をふれると大声をあげた。『なんとすばらしいピアノだ!すばらしい!これじゃあ私のピアノを持ってくる必要はなかった。これだったらコンサートに使える!』」というエピソードとして紹介されている。この幻のピアノは以後消息不明だったが、昨年私が所有することとなった。そしていつかこのピアノを、カーネギーホールの舞台に戻して、そのステージで鳴らしたいと思っていた。

常々、私は現代のピアノと巨匠達のピアノは明らかに音が違うと主張し続けてきた。
レコーディングやコンサートに、特別に調整されたピアノを持ち込む。このシリーズも、各地の主要ホールに於いてすでに1000回を越えるステージの実績を残し、ホールが変われば楽器はまるで別物になってしまうということを、様々な形で体験してきた。恐らくどのメーカーも我々のような膨大なデータは持っていないだろう。
そして私は、当時(クラシックの黄金時代)の音の秘密を証明するためには、その当時の楽器を、近代クラシック時代の象徴であるカーネギーホールで鳴らし、確認するしかないと考えた。
なぜなら、この時代はまだレコードが実用化されていなかったため、当時の演奏データというものはほとんど残存していないからである。
しかし、このままこの楽器をステージで演奏しても、骨董品を鳴らすだけで当時の音は再現できない。完璧を期するためには、響板取り替えまでも含めたフル・リビルトをして、1887年当時のオリジナルの状態にしなければ、当時の音は再現できないのである。



フランツ・モアとの13年間
ホロヴィッツが日本滞在の際に、このピアノを弾いて絶賛したという出来事は、フランツ・モアにとっても非常に印象深かったのであろう。彼は何度もこの話を私にしてくれたものである。そして、この企画を思いついた時、当然、真っ先に、私はフランツ・モアに相談をした。「あれはホロヴィッツがとても喜んだピアノだから、彼が好んだ調整を再現したい」ということで、彼は「まず息子のピーターのところで数ヶ月かけてオーバーホールやろう、そして最終調整は僕がやる」と申し出てくれた。

フランツ・モアは丸2日かけて、各部の調整、ヴォイシングを始め、仕上げのすべての作業をやってくれた。この模様は一部始終、取材に来たTVカメラに収められている。
そして、120年の時を経て甦ったこのピアノの音を聞き、私ははっきりと、ホロヴィッツがなぜ、新しいピアノを弾かなかったのかを理解することができた。
「今はもういなくなってしまった、ホロヴィッツなどの巨匠達の音を再現し、これをレコーディングして残したい。そして、同じ技術者として久しぶりに、フランツ・モアと仕事ができる、しかも舞台はカーネギーホール。そして二人きりでその音を聞きたい。」この幸せな夢が叶った。
フランツ・モアは、誰もいない客席で、ピアノの音にじっと耳を傾け、時折涙ぐんだ。クラシックの黄金時代を、数多くの巨匠達と共に過ごしてきた彼の脳裏には、どのような想いがよぎったのであろうか。そして「自分の長いキャリアの中でも、このレコーディングは最高の仕事だったよ!」と何度も何度も繰り返して言った。

十数年前、初めてこのピアノにまつわる話を彼から聞いてから、様々な出来事が過ぎ去っていった。時を経て、まさか日本で埋もれていたこのピアノと共に、カーネギーホールという舞台で、私とフランツが同じ感動を共有することになろうとは、実に感慨深いことであった。ずっと私のことを「長年の友人」といろいろな人に紹介してくれ、何でも私のわがままを聞いてくれたフランツに、私は今ようやく恩返しができたように思う。


巨匠とピアノ弾きとの違い
最近では、「ピアノの上手な人」と「巨匠」とを混同しているが、「巨匠」すなわちマエストロと呼ばれた人々は、少なくとも作編曲までできる音楽家の頂点でなければならない。従って私個人としては、リヒテルやミケランジェリを巨匠とは言いがたいと考えている。ましてや、単に弾くのが上手で有名なピアニストや、コンクール何位という観点からはまるで異次元にある。
ロマン派以降の巨匠時代の流れを最後に受け継いだのが、ホロヴィッツであった。ホロヴィッツが亡くなったとき、フランツ・モアは「もう、僕の仕事はなくなってしまった。でも僕は世界一幸せな調律師だったよ」と語った。
ちょうどそのころ、私はコンサートチューナとしての仕事が軌道に乗った頃だったが、残念なことに、その時にはもう巨匠はいなかった。「国際コンクール何位」とかいった有名なピアニストは世界中にゴロゴロいるが、私には全く興味はない。有名なピアニストより、音楽的なピアニストを発掘するために、若いアーティストをバックアップする方が、私にとっては生き甲斐である。

今回の企画にふさわしいピアニストとして、私はNY在住の江口 玲氏を選んだ。彼は作曲家であり、ピアニストであり、何度もNYで一緒にレコーディングをしている。また今現在、このピアノを弾きこなせるテクニックを持っているのは、彼しかいないだろうと思われた。レコーディング・エンジニアは、元日本コロムビア(DENON)の名エンジニア岡田則男氏。彼はピアノの音を録らせたら日本一である。そして、フランツ・モア。
この最高のチームだからこそ成し得た、歴史的な体験であった。

コンサートチューナーとして仕事をするようになってから、いつかは巨匠達と共にカーネギーホールの舞台に立ち、その響きを聞いてみたいと
夢見ていたが、時すでに遅し。世の中に巨匠といえるピアニストはいなくなり、「巨匠癖」ピアニストばかりとなってしまった。目標がなくなっていたところに、別の形でカーネギーホールの舞台に立ち、舞台袖のひどいハウス・ピアノを調律するのではなく、自分の思い通りのピアノをステージにのせて、鳴らせたことの喜び。
今まで、どのメーカーにも販売店にも所属せず、独立した技術者として仕事をしてきたが、40代にしてすでに、自分が今考えられうる最高の夢を叶えることができた。
そしてまた、新たな夢を探し始めている。そういう意味では、私も幸せな調律師かもしれない。
このプロジェクトに協力してくれたすべてのスタッフに、心から感謝している。


タカギクラヴィア株式会社
代表取締役  高木 裕



Last updated on 2002,7,9

 

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